一月最後の日曜日はとても冷えますね。節分はもうすぐそこまで来ています。
そういえば、夜明けの時間も、日の出前が一番冷えますね。それを想ってじっとじっと我慢です。
尊敬し、敬愛していた松岡享子さんが他界されました。私は勝手に彼女に親しみを感じ、傾倒しておりました。短く的確で心にすっと染み込んでくる訳文に感動し、児童文学に対する情熱と行動力に脱帽し、いつの日か東京子ども図書館へ行ってみたいと憧れていました。いつどこで読んだのか記憶の彼方になってしまっていますが、 彼女が ”公共図書館にはあまり馴染まなかった” と書いていらっしゃいました。社会人経験後に公共図書館で勤めていた私が感じていた違和感を代弁してもらったような気がして、肩の力がふっと抜けたのを覚えています。 NHKの訃報記事はこちら
その彼女の関わった東京子ども図書館から出されている本の中で、私が一番お世話になっている本をご紹介します。
この本の中に入っているお話の中で、一番のお気に入りがタイトルにもなっている『エパミナンダス』です。
エパミナンダスは母さんと二人暮らしの男の子。時々おばさんの家に出かけては、帰りにお土産を渡され喜んで帰ります。お土産を大事に母さんに渡そうとして、いわれた通りに持って帰るのですが、お土産はすべて台無しになってしまうのです。なぜ台無しになるのかは、お話を聴いてのお楽しみ。
公共図書館では、児童書担当として、子どもたちにお話をする仕事がありました。ストーリーテリングといって、物語を覚えて聞き手に語る仕事です。仕事といっても義務ではないので、特にできないからと言ってどうということもないのですが、この東京子ども図書館から出ている「おはなしのろうそくシリーズ」のお話たちは、本当によく出来ていて覚えやすく、語りやすいものばかりなのです。
公共図書館を退職してからも小学校での読み聞かせを続けている私は、この『エパミナンダス』を小学校2~3年生の子どもたちに時々語ることがあります。ストーリーテリングは幼稚園の年長さん~上はリミットレスでどの人に語りかけても楽しめるものです。ただ、8~9歳くらいの子どもたちはお話をじっくり聴いてくれる上に先々を予想しつつ、どうなるのか判っているのに素直に面白がってくれるのです。語り手を喜ばそうとか、困らせようとか、何の駆け引きもなく私は自由に語り、時に身振り手振りを加えても(本来あまり推奨されません)、彼らの瞳を見つめなくても(推奨されていました)、彼らは私の語りの世界で自由に心躍らせてくれているように感じました。
ある日、友人たちとお茶をしていて、ある友人が私に言ってくれたことがあります。
「ねぇねぇ、恵美ちゃん、子どもが学校から帰ってきて『今日すっげ~面白い話を教えてもらった。〇〇くんのお母さんが学校で話してくれたんやけど、あんな面白い話があるんやなぁ』って言って、次々エピソードを話してくれるんやけど、なんやら私にはチグハグで、意味が分からんのよ。はじめから本当の物語を私にも話して~」
ストーリーテラー冥利に尽きるというか、なぜかとても嬉しくなってしまったのでした。子どもが学校での楽しい思い出を家族に語る、という心温まる日常の一端に私の語りが入ってくれたことが嬉しかったのです。私のストーリーテリング自体は、そんなに上手なものではありません。ですが、物語自体に本当の力強さ、面白さがあると、語り手はただ語るだけで、聞き手はその世界を楽しむことができるのです。
その時私は、いつものストーリーテーラーとしてではなく、”噂話を方言で語る人”として友人たちにその『エパミナンダス』を語ったのを覚えています。
「あるところにエパミナンダスっていう名前の男の子がおったがやと。母さんと二人暮らしながやけど・・・」といった風だったと覚えています。友人たちはお茶を飲みながら大笑い、落ちの部分では、解ってくれる人と解らない人との間でちょっとした議論が起きるほどのお話タイムになったのでした。
いつもは友人たちの話を聴く方が多い私は、少し恥ずかしかったものの、ちょっとしたお披露目を出来たようで楽しい時間を過ごしました。
児童文学普及に尽力された松岡享子さんが、東京子ども図書館を設立してくださったおかげで「おはなしのろうそくシリーズ」が生まれ、私はその恩恵にあずかっています。人材育成にも尽力され、彼女が広げてきた裾野は無限に広がっていくことでしょう。私はそう信じています。彼女と直接お会いしたことはない私ですが、彼女のこれまでの積み重ねに心から感謝しています。先に他界された石井桃子さんと再会して、またいろんなことを語り合ってほしいものです。
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