デザイナー:三宅一生さんの訃報を目にしました。ブランド品に疎い私です。三宅さんについて詳しくはないものの、その仕事ぶりや生き方を敬愛していました。
三宅一生さんの仕事
彼の仕事は多岐にわたります。服については、ファッション誌やショープログラムで拝見してきましたが、その作品を手にしたことはありません。でも憧れでした。着心地の良さそうなのに、きちんとしたフォルムを持っていて、そのお人柄にも通じる芯のようなものを感じていました。
三宅さんの香水
三宅さんのブランドで唯一自分で購入したものが1つあります。それは香水です。
香水については、いろんなご意見があると思います。私の自論で書くと、香水はほとんどつけたことがありません。湿気の多い日本で暮らしていると、空気が肌にまとわりつくことが多いせいか、気を付けていても、お料理の香りやコーヒーやハーブの香りが負けてしまうのです。
そんな私でも若い頃、アメリカに滞在していた時に、友人に勧められて購入した香水があります。それがイッセイミヤケさんのオードトワレでした。私の滞在先では空気が乾いていたこともあり、また香水をつける文化のある場所でもあったので、思い切って購入しました。
自分の香りを創る
友人によると、オードトワレのように普段使いで使う香水は、自分の香りを創るのに似ているのよ、とのことでした。はじめはオードトワレをしみこませた綿などをいれたジプロックに、ハンカチや身に着ける清潔な下着を入れて少しずつ香りに慣れさせ、耳の後ろや手首にほんの少し付けて自分の本来の香りとブレンドしていくのがいいと、教わった記憶があります。
「イッセイの水」を手にして
若かった私は三宅一生さんのお仕事が香水の分野までわたっているとは知りませんでした。「イッセイの水」という名前が素敵だな、と感じたことを覚えています。一生さんの水は、初めの第一印象は懐かしい感じ、そしてトップノートと呼ばれる香りは心地よく、余韻に残る香りは優しくふんわり包まれたような感じでした。でも気がついた時には、いつのまにか消えていたのです。香水に不慣れな人間だからなのか、そんなことを今でも覚えています。私は、余韻の香りの、「いつの間にか消えている」、というところに惹かれました。
「イッセイの水」は、香水と銘打たれていても、美しくデザインされた水でした。私は香水を使う習慣を持ち合わせていませんが、記憶の中では、最も洗練された香りの一つになっています。
私の想う香り
香りについて、私は自分なりの想いを持っています。
「必要とされるときにふわっと現われ、そうでなくなったときには、そっと姿を隠していく。」
料理に使う素材そのものや、素材同士がマリアージュして生まれる香り
太陽の光をたっぷり浴びた、乾きたての布の香り
何年もの間じっとその扉を閉じていた本や、しまわれていた着物の香り
植物の芽が一斉に芽吹くときの初春の香り
雪が降る前の重く湿った風の香り
大地が温まって種を植えられるようになった時の土の香り
全てその時にしか味わえない香りです。
そのものの心の花が開く瞬間と考えています。
香り立つ瞬間
そのもの自身の花が開く瞬間をとらえると、料理ならおいしく作れるようになりますし、農業なら種まきの時期をとらえることができます。ハーブなら香りの一番強い時、一番効能が濃く出るといいます。
私はいつもその花開く瞬間を探し、捉えたいと思いながら過ごしています。
香りがふんわりと優しくなったなぁと思ったら、いつのまにか消えてしまっている時があります。そのもの自身がわかっているかは別として、その香りは必要とされてないんだと経験的にわかるようになりました。
自分の創造性が溢れる瞬間
私は自分の花を見たことがありません。この先も見ないまま、一生を閉じることになるかもしれません。無理かもしれませんが、私は自分の花開く瞬間=創造性が溢れる瞬間を感じることができたらいいな、と願っています。このまま私が必要とされなくても、この世界に生きていても誰も困ることはないと思いますので、ジタバタしながら生きていこうと思います。ただ、私なりに役目を果たせたな、と感じたときには、そっと離れて消えてしまいたいと願っています。一生さんのオードトワレのように。
まぁ、現実はそんなにうまくいかないでしょうけれど。
どうか お元気でお過ごしください
暦の上では秋が来ました。温暖化の影響で被害を受ける地域が増えてきています。台風の季節もやってきます。どうか、どうか皆様 ご自愛なさって、無事に 健康に 穏やかに お過ごしくださいませ。